きょうの練習から、信長貴富作曲「逝く夏の歌」を始めた。
夏前には信長先生の「島唄」にチャレンジしたけど
やっぱり合唱オリジナル作品は空気感が違うね。
久しぶりに日本語テキストの曲浸っている感じ。
木下牧子作曲「夢見たものは」も同時にやってるけど、
以前よりも一段階高い次元を目指せている。
より純度の高いハーモニーだとか、音色だとか
音の隅々にまで神経の行き届いた音楽ができそうな気がする。
まだまだ、わずかな予感の小さな萌芽だけれど。
そういうタイミングでこの曲に出会えたのはラッキーかもしれない。
この曲のテキストは中原中也の詩。
中也の生前に出版された唯一の詩集「山羊の歌」に収録されている。
小林秀雄が編集していた雑誌「文学界」とともに、
中也にとって作品発表の重要な媒体だった「四季」。
その第3号(昭和8年7月20日発行)に
「少年時」「帰郷」とともに「逝く夏の歌」が載っている。
この詩は、中也詩の中でもっと評価すべきものなのかもしれない。
信長先生はこの秀麗なソネットの(実際は1行多い15行詩だが)
全てに曲を付けるのではなく、第3節の3行にだけ作曲している。
しかも、途中にヴォカリーズを挟むことで
わずか3行とは思えないスケール感を加えつつ。
わずか3行とはいえ、この詩には宇宙の真理にも通じる説得力がある。
信長先生一流の、香りを伴った爽やかな音楽が
中也の詩をまるで道造の詩のように彩っている、とか思った。
なぜ3行だけなのか、信長先生に尋ねてみようか。
フランシスコ・サビエルの弟子たちが
日本で初めて歌ミサを奏でたこの地で教会音楽の響きを求めるように
ここで生まれた中也の詩を歌に乗せる。
そのことに真摯に向かい合うことが、我々の存在価値だと思いたい。
ちょうど今、近所の記念館でこの詩の屋外展示が行われている。