縁あって、伊藤博文の生家に近い中学校の合唱コンクールをみる。
このコンクールは文化祭の一環で、
学習の成果発表や各種の展示発表などもあった。
文化祭のメインイベントが合唱コンクールというわけだ。
高速を飛ばして学校に着いた時には、すでに文化祭は始まっていて
1年生が総合的な学習での経験を発表していた。
2年生が同じく総合的な学習として行った職場体験を報告した後、
「友愛コンテスト」と銘打った全校企画が行われた。
どうやら、各クラス対抗でテーマの「友愛」を表現して
その優劣を競うものらしく、審査基準は“わかりやすさ”とのこと。
替え歌あり、いじめ撲滅を訴える寸劇ありの内容だったが
客席の手拍子にかき消されて何を言っているのか分からなかったり、
練習不足で途中の段取りがぶっ飛んだりで、おおむねグダグダ。
進行役の男子生徒のコンビも、適当なやりとりで
まるで「あらびき団」を地でいっているかのようだった。
結局、「アルゴリズム行進&体操」を全員でやったクラスが
最もわかりやすかったので大賞に輝いた。
まあ個人的には、進行役の口から飛び出した
「男子と女子の声がベリーマッチしてました」の言葉が
MIPだったんですけど。
コンクールに先立って、
全校生徒が今年のNコンの課題曲「手紙」を合唱。
全国大会での有力校の演奏が記憶に新しいが、
彼らの演奏はそのどこにも負けていなかった。
もちろん、演奏としてのクオリティは比べるべくもない。
しかし「上手く歌ってやろう」などという気負いが全くなく、
中学生らしい感性で今の流行歌を歌っている姿は、
ともすれば背伸びしがちな昨今のコンクール事情からすれば
まるで有力校が(そしてコンクールに慣れきってしまった我々が)
忘れてしまった大切な何かを教えてくれているようにも聞こえた。
続いて、教職員による合唱。演奏曲は、木下牧子作曲の「春に」。
校長、教頭がともに合唱経験ありということもあるのだろうが
教員が協力して、しかも中学生向けのレパートリーを歌うというのは
なかなかできることではないと感心した。
演奏自体は、お世辞にも上手とはいえないものだが
彼らの、生徒に音楽の楽しさを伝えたいという気持ちは十分に分かる。
そしていよいよ合唱コンクール。
学年ごとの課題曲と生徒たちが選んだ自由曲の2曲を演奏。
課題曲は1年生が「夢の世界を」、2年生が「若い翼は」
そして3年生が「モルダウ」だった。
1年生は混声合唱そのものが入学して初体験だったはずで
男子などは声変わりも十分ではない。
昨今は、大人顔負けの美声を披露する中学校も多いが
ここの1年生は、技術的には未熟といわざるを得ない。
しかし必死に歌って、幼いなりに何かを表現しようとする姿は
今後の成長を十分に期待させるものだった。
2年生になるとさすがに1年生とは格段の上達ぶり。
どのクラスも、ハーモニーには多分に難があったが
表現するための手段もいくつかは持っているようだった。
特に、自由曲に松下耕作曲の「信じる」を選んだクラスは
ユニゾンの統一感がピカイチで、
アゴーギクの変化などにも自発性が感じられ、最も好感を持った。
3年生は「ひめゆりの塔」「流浪の民」「親しらず子しらず」と
図らずもクラシックな選曲となった。
演奏技術の点では2年生に対して、2年生と1年生ほどの差はない。
しかし、選曲や曲への思い入れに関しては
相当の成長があるようで、この時期の1年間の大きさを感じる。
結果的には、課題曲を最も表現豊かに演奏し
修学旅行でいった沖縄ゆかりの曲を自由曲に選んだクラスが
全校通じての1位を獲得した。
しかし他のクラスも、正しい様式感で音楽的にも高度だったり
メンタルが音楽をリードしたりと、十二分に楽しませてくれた。
全体を通じて感じたことだが、
各種の発表だったり、「友愛コンテスト」などでは
どうしようもないくらいグダグダな生徒たちが
いざ演奏となると、別人のようにビシッとするのは驚きだった。
意地悪くいうと「他の時もシャンとしようよ」ということになるが
一人残らずが、音楽がとても好きなんだということが伝わってきた。
そして「静かにしてください」といわれれば、そのとたん沈黙し
演奏の前には姿勢を正して指揮者に注目する。
そんな当たり前のマナーが、当たり前にできている。
その影には、彼らや音楽の将来を真剣に考えた人の存在を感じる。
コンクール上位入賞という分かりやすい結果だけを追うのではなく、
中学生の将来のための種まきをするということは
誰にでもできるものではないと、頭の下がる思いだった。
コンクールの後、PTA合唱団も歌声を披露した。
演奏の前には「私たちの背中を見て学んで欲しい」というメッセージも。
しかし、そんな言葉を吐いていいのか、というのが正直な感想だった。
演奏が生徒たちとは比べものにならないのは仕方ない。
だが実は、彼らは客席にいる時から
生徒たちが発表や演奏をしているというのにペチャクチャおしゃべりし、
ビデオやデジカメをピコピコならすなど、騒々しいことこの上なかった。
さすがに、自分の子どもの出番だけは気になっていたようだったが、
それ以外は自分たちの演奏時間や衣装のことの方が大事とみえて
終始上の空だった。
他者の発表や演奏に熱心に耳を傾ける生徒たちとは正反対である。
彼らこそ、生徒たちの背中を見て学んで欲しいと本気で思った。
まあそれでも、そんなお母さんたちだけではなく
いそがしいであろうお父さんたちまでが歌声を披露。
そのサポートに男性の教職員が加わるなど、
大人たちみんなが、生徒たちの合唱コンクールを盛り上げようという
思いは十分に評価していいだろう。
そして、こうした学校や地域が
合唱コンクールで活躍する日が来ることを願う。
もちろん、コンクール以外の場でも構わないのだが、
悲しいかな、コンクールで活躍して初めて認める人がいるからである。