ようやく観に行った。
テレビシリーズの最終話が酷いことになっていたので
ちょっとというか、かなりがっかりしていたのだが
スペシャルドラマを見てふたたび期待していた。
結論からいえば、噂通り堤真一の演技が秀逸。
「主役を喰っている」という表現も納得の迫力だった。
堤真一といえば元々、
蜷川幸雄や野田秀樹らに認められるほどの演技力の持ち主。
映画やテレビドラマでの主役はもちろん、
脇役としても主役を喰うような好演も数多くある。
しかし今回の石神哲哉という役は、
主人公・湯川学のライバルにして天才数学者とはいうものの
湯川とは月とすっぽんの冴えない中年男の設定。
それを、髪型や顔つきはもちろん
猫背でやや足を引きずりながら歩くことで見事に演じていた。
(といっても、顔立ちの良さは隠せないけど)
実年齢に開きのある福山と堤だが、湯川と石神は同い歳。
物語上重要とはいえ、
湯川が必要以上に(間抜けなくらい)若く見えてしまっていた。
それはもちろん、福山雅治という“タレント”にも起因するだろう。
俳優やシンガーソングライターのほか、
写真家としても活躍するなどマルチな才能を発揮する福山と
役者としての王道を追求する堤。
その二人が、映画という舞台で相まみえた場合
双方に等しく光を当てるということは不可能。
その意味では、二つの個性の違いをそのまま見せることによって
二人ともを生かすことに成功しているともいえるかもしれない。
つまり、この作品は
「堤真一の映画だが、福山雅治も霞むことなく輝いている」ってか。
ただ、「ガリレオ」という作品世界における
湯川学のキャラクターを壊してしまった感は否めない。
亀山千広お得意の、ウェットになりすぎない人情話には仕上がっているが
人間ドラマであるが故に、
湯川自身の感情が揺れ動きすぎていると感じた。
本来、感情などという非論理的なものには左右されない
(少なくともそうありたいと思っている)はずの湯川が
内海薫(柴咲コウ)に対して微妙な言動をしたり
人目にはつかない場所とはいえ慟哭したりするのは
個人的には「え~変人ガリレオらしくない!」と思ってしまった。
まあ、もう続編はつくらないための“くさび”だと思えば
それはそれで、「あり」かなとは思うけど。
(原作を読んでいないので、映画としてのさじ加減は分からない)
いずれにしても、お金を払ってみるだけの価値のある作品だとは思う。
ただ気になったのは、音。
台詞以外のノイズが、不自然に唐突だったり
音位に違和感を感じることが多かった。
もちろん、映画館の所為なのかもしれないのだけれど
中央やや前側の席に座っての印象なので
オリジナルのサウンドファイル自体を疑いたくなる感じ。